法事
去る7月5日、義父の三回忌法要が行われた。
義父は、旧海軍将兵の生き残りで、南方の前線に向かう途中、乗っていた船が潜水艦に撃沈され、浮遊物に掴まって漂流しているところを、日本軍の潜水艦に助けられたり、呉の軍港で激しい空襲にあったりして、九死に一生を得て、終戦をむかえた話などを、健在の時によく聞かせていただいた。
正義感が強く、律儀で優しく、運の強い義父も寿命には勝てず、2年前に他界した。
戦争を経験した気骨(きこつ)ある昔の日本人らしい日本人が、また1人亡くなったと思った。
法事には多くの親戚が集まり、義父の思い出話に花が咲いた。
法事は、故人をしのぶと共に、普段会うことの少ない多くの親戚が集まるのに、良い習慣だと思った。
地質調査の重要性
全国地質調査業協会連合会の地質調査受注動向調査によると、地質調査の市場は縮小しているが、地質調査の重要性の認識は増している。
これは、建築確認申請時審査の厳格化や瑕疵担保責任等によるところが大きく、最近では住宅でもほとんど地質調査を実施している。
建物を支えている地盤は、柱や梁と同じく構造体の一部のようなもので、地盤がどのような構造になっているかを調べる地質調査は、安心で経済的な家造りには欠かせない。
地質調査事業規模
全国地質調査業協会連合会が行っている地質調査受注動向調査結果が、協会機関誌「地質と調査」に発表された。
これによると、平成20年度の地質調査事業量は710億円。
なおこの調査結果は、全体の地質調査事業量に対し、平均約70%と推定されるとしているので、平成20年度の、全国の地質調査事業量は約1000億円と推定される。
トヨタ自動車の売上高が、平成20年度は205,295億円と発表されていたから、地質調査の事業量は、トヨタ自動車1社の売上のわずか約0.5%で、かなり小さい市場であるといえる。
また、全国地質調査業協会連合会の調査結果によると、平成20年度の地質調査事業量は、前年対比81.9%で、ピークの平成7年の1,950億円と比較すると、36%にまで落ち込んでいることになる。
不調からの脱出(ゴルフからの気づき)
昨日は、当社の社員が主体となって運営している「フジタ地質厚生会」のゴルフコンペが行われた。
私にとっては2ヶ月ぶりのゴルフだ。
一時、ショートアイアンがひどい不調に陥り、シャンクが連発したり、バンカーからの脱出に数発打ったりで、まともなスコアにならなかった。
しかし、昨日はシャンクはでなかった。また、バンカーへは2回入れたが、2回とも一発で脱出でき、スコアは最近の私にしてはまずまずであった。
もともとアプローチもバンカーショットも苦手ではなかったが、これが不調に陥ったのはそれぞれ別の原因があった。
これに気づくのに数ヶ月かかった。
ショートゲームのレッスン書を読んだり、練習場へ通ったりしたが、直らなかった。
これがある日、不調の原因に気づいた。
シャンクの原因は、アドレスとインパクト時の手首の角度が変わり、ボールより若干外側をクラブヘッドの中心が通るため、シャフトがボールに当たっていた。
バンカーは、ボールの直ぐ手前にクラブヘッドを打ち込むということができていなかった。ボールのかなり手前からクラブヘッドが砂の中に入っていた。
どちらも基本中の基本であり、初心者の頃から手首の角度を変えないということや、バンカーではボールの直ぐ手前へ打ち込むということは知っていたし、できていたことである。
それが、不調の時はレッスン書を読み直したり練習場へいっても、これができていないことに気づかなかった。
今から思えば、こんなことに気づかなかったことが不思議である。
趣味でも経営でも人生でも、不調に陥ることは誰にでもあると思う。
その原因は、特別なことではなく、意外と何でもないことにあることが多いのではないだろうか。
分かり切っていること、自分では当然のこととして考えても見ないこと、当然できていると思っていることが、本当にできているか、心からわかって実行しているか、こういうことをもう一度見直してみたい。
夏至と禁煙と決意
昨日は夏至。
夏至と禁煙とはまったく関係ないようだが、私には多少関係がある。
30年前の夏至の日限りで、たばこを吸うのをやめた。
30年前の夏至が6月の何日だったか覚えていないが、今年と同じ日だとすると、禁煙してから昨日で30年が経過したことになる。
禁煙する前、たばこを吸っていた量は1日に2箱では大抵足りなかったから、毎日40本~50本程度吸っていたと思う。
それまでにも何回か禁煙を試みたことはある。節煙もやってみたが、尽く失敗している。
それが、30年前夏至の日の禁煙が何故成功したか。
この時の、禁煙の決意を思いだすと、
「今日の夏至の日を境にたばこをやめて、自分の意志を試してみよう。自分は禁煙もできないほど意志の弱い人間ではないはずだ。」
と心に誓って、最後のたばこを吸い終えた。
この時、禁煙を軽く考えず、このことが今後の自分の人生を左右すると思うぐらいの、本気で決意したことが、成功に繋がったと思う。
別に体調を崩した訳ではなく、医師から止められた訳でもなかった。
ただ、自分を試してみようという本気の決意だけであった。
あれから30年。
実は、何年か前にたばこを吸おうと思って、たばこを購入したことがある。
今度は、たばこを吸い続けることができなかった。
たばこを持ち歩いて、吸うことが面倒だった。
意志が弱くなったのだろうかとも思ったが、そうではなく決意の差だと思う。
この時は、絶対吸い続けるぞという本気の決意はなかった。
何かをやり続けようと思う時、途中で挫折しないためには、それ相応の決意が大切だと、30年前の夏至の日を振り返って、改めて思った。
心の牙を剥き、本気の決意をして成し遂げる。
ここぞという時には、絶対必要なことである。
倉敷にて(安全大会、同友会支部総会)
昨日は、顧客の工務店の安全大会と岡山県中小企業家同友会倉敷支部の総会へ出席するために、倉敷市へ行った。
12時31分高島駅発のJRに乗り、倉敷駅に着いたのが12時59分。
15分ほど歩き、某工務店の会議室へ到着。
大会委員長、社長挨拶のあと安全表彰、安全標語選出発表、安全宣言唱和で第1部が終了。
休憩の後、『保護帽・安全帯の正しい使い方』というテーマで、保護帽や安全帯の作製メーカーの方の講演があり、17時前に閉会した。
安全大会の後、徒歩で、倉敷市鶴形1丁目から鶴片山隧道を通り、アイビースクエアへ向かう。
18時から始まる岡山県中小企業家同友会倉敷支部総会の開始までには、まだ時間があるので、美観地区を歩いてみた。
喫茶店は閉まっていたので、飲食店に入る。韓国冷麺があったので、これを食する。味は特に美味くもなく、不味くもなくといったところだが、値段が少し高く感じた。場所が観光地だからこんなもんだろうと思う。
店を出て、総会会場へ。開始時刻までにはまだ15分ほどあるが、支部長をはじめすでに多くの会員の方が席に着いていた。
支部総会は、18j時半頃滞りなく終了し、この後「大不況のなかの日本経済と中小企業」と題して、神戸大学教授の講演があった。
今回の経済危機の原因と構造などの講義だったが、今後の見通しについては
「景気は底を打ったと政府から発表されているが、V字回復は見込めず、今よく言われているL字の状況が続くと思っていた方がよいだろう。」
というような内容であった。
財界人も、国内の市場が伸びることは前提にしていないらしい。
講演は、20時すぎに終わり、部屋を変えて懇親会に移った
懇親会では、乾杯の挨拶をさせていただくことになった。
「昨年の総会の時、1年後に外部環境が今のような状況になろうとは思っても見なかった方がほとんどだろうと思います。この不況の時、科学的な経営を心掛け、冷静に現状を分析し、見極め、手を打っていくことが大切だと思います。それと、精神が壊れないこと。不況をストレスにして心が壊れては何にもなりません。これらに有効なのが同友会です。同友会にでれば、科学的な経営のヒントが掴めます。心は元気になります。」
というような挨拶をしたつもりであるが、うまく伝わったかどうかはわからない。
21時10分頃、会場を後にして、徒歩で倉敷駅へ行き、21時44分のJR片上行きに乗り、高島駅で下車し、徒歩で自宅へ帰ったのは22時半を過ぎたころであった。
書斎
今年5月、ゴールデンウィークの休日を利用して、家のなかを2日間ほどかけて整理整頓した。
その時、物置同然にしていた10平方メートルたらずの部屋のなかも片づけ、空間ができたので、この部屋に置いていた学習机をそのまま利用し、自分の書斎としている。
窓は北北西ぐらいな向きで、窓からは竜ノ口山、金山、半田山の一部や祇園用水を眺めることができる。
この部屋にいると気分が落ち着く。
しかし、ここに長く居すぎると家族とのコミュニケーションが疎かになるような気がしてきた。
子供に勉強部屋を与えて、子供とのコミュニケーションが疎かになってくるのと同じだ。
いい書斎ができたが、ここは気分を集中して何かをする時など、必要な時だけ利用することにして、難しくない本や雑誌、新聞は居間で読むようにする等、できるだけ家族と同じ場所にいるようにしようと思う。
経済学部で講師
昨日、岡山大学経済学部で講師をさせていただいた。
中小企業家同友会の提供講座で、テーマは、
「中小企業論~日本経済の再生と中小企業の役割~」
事例 中小企業活性化への理念型経営の実践
地質のことや経営理念、経営方針・戦略、経営計画の実践例、企業の社会的責任と雇用について、地域社会の発展と中小企業について等を、経営体験を交えながら講義させて頂いた。
今回は、経済学部の学生を対象とした授業の一環としての講義で、中小企業家同友会で行う経営者を対象とした報告とは違ったプレッシャーを感じたが、同友会の事務局の方をはじめ、周囲の応援のおかげで、なんとか無事終了することができた。
GM破綻から
昨日の日本経済新聞の1面に、GMの破綻について次のようなことが掲載されていた。
GMは、20世紀型の企業経営のお手本とされた。
だが、これらの経営モデルは右肩上がりの成長が前提である。
第2次世界大戦中、経営学者ピーター・ドラッカーがGMに招かれ、1年半に渡って組織や経営を調査したことがある。
すでに20年以上トップに君臨していたアルフレット・スローンがつけた注文は、
「こんな助言なら気に入ってもらえそう、などと決して妥協するな。」
だったという。
また、ドラッカーは、
「私が裸の王様かどうか見極める必要がある。」
と、スローンにしばしば意見を求められたともいう。
であるのに、「人が作ったもので四半世紀以上有効なものはなく、GMの経営も例外ではない」と説いたら、経営陣に総スカンだったという。
スローン自身の著書「GMとともに」を
「変化に対応していかなくてはいけない。」
と締めくくったのに、結局それを生かすことはなかったのか。
以上であるが、このことから学ぶことは多い。
・経営について学び、自社で実践していることが、右肩上がりを前提としていることではないだろうか。
・社員や関係者に意見を求め、自分が気に入らない答えが返ってきても、情報として謙虚で素直に聞き入れているだろうか。
・変化に対応していかなくてはいけないと、自分で普段いっていることが、本当に心の底から理解し、それに対応できているだろうか。
など、もう一度自社と自分自身を見つめてみる必要があると思った。
全力で戦ってきたことへのこだわり
プロ野球 楽天のエース岩隈投手、今年はエースの座を田中投手に奪われそうな様子だが、岩隈投手は、近鉄とオリックスが合併した時、
「今まで力を尽くして戦ってきた相手と一緒にはなれない。」
というようなことを言って、オリックスへ行くことを固辞し、楽天へ入団した。
また、A信用金庫が破綻してB信用金庫に譲渡された時、当社を担当していたA信用金庫のO氏は、
「今まで競合して戦ってきた所へは行けない。」
と、他の信用金庫へ再就職した。
これは、今まで全力を尽くして戦ってきたことへのこだわりがそうさせるのだと思う。
「敵の軍門に降るぐらいなら」というような思いだったのだろうか。
このことについて賛否両論あると思う。
岩隈投手や信用金庫のO氏のように、武士のようなこだわりを持ちながら、牙を剥いて野性的に全力で戦うところがあってもいいと思うし、昨日の敵は今日の友で、新しい環境でがんばればそれでいいとも思う。