昨日、岡山県中小企業家同友会の社員共育大学で、「人間にとって仕事とは」というテーマで、問題提議と討議が行われた。
仕事は、暮らしの糧であるとか、人間として成長させるものであるとか、社会貢献の場であるとか等、仕事の意味はいろいろあると思うが、別の見方をすると、仕事とは人生そのものであるとも言える。
定年などで、仕事をやめると急に老け込んでくる人がいるのを見ると、特にそう思う。
ところが、仕事を楽しくやるように心掛けているとか、努力しているという人は多いが、心から仕事が楽しいと思って仕事をしている若者は、多くないはように感じた。
仕事にやりがいとか、生きがいを見いだせる人は、仕事が楽しいし、幸せだと思う。
ある農園経営者は、農業が好きで好きでたまらないらしく、「稲の苗を持ったまま田植えをする姿勢で、バタンと前のめりになって死ねたら本望だ」と言っていた。
あるボーリング会社を経営している友人は、「俺は一生穴掘りだ」といって、直径が1mもあるコアを取り出す機械を開発した。(コアとは地中の土質サンプルのことで、ボーリングでサンプリングされるコアの直径は、7cm以下が多い。コアの直径が大きいほど礫や玉石の状態を確認しやすい)
また、貿易商を営んでいる友人は、会うたびに「今日は儲かりましたか?」と言われる。決して金の亡者という感じではなく、「今日は儲かりましたか」という挨拶のなかに、我々は商人だいうことに誇りを持っているように感じられる。
この方々は、憧れて今の仕事を始めた人達ばかりではないと思うが、自分の仕事を愛し、誇りを持って一所懸命やっている。
こういう人たちを見ても、仕事とは人生そのものだと感じる。
仕事が人生そののだとすれば、仕事にやりがいや生きがいを見いだすことは、とても大切なことだ。
そのためには、自分に与えられた仕事を、中途半端な気持ちではなく、本気でやることだと思う。
天は無常無自性(自然は常に変わり、本来自分というものは無いという意味)
人は一期一会
私は一所懸命
という二宮金次郎のビデオにでてきた和尚の言葉を思いだした。
お知らせ
人間にとって仕事とは
人材派遣の利用
派遣社員の契約打ち切りが社会問題として報道されている。
当社でも、かつて2名の派遣社員を利用していたが、今年の春に、1名の派遣社員の契約更新をせずに打ち切り、もう1名は派遣会社と交渉して、当社社員として雇用した。
派遣として働いている人が、みんな正社員を望んでいるわけではない。
派遣の方が精神的に束縛されないからいいという人もいた。
派遣社員は短期雇用が前提で、会社と派遣労働者との都合が合えば契約更新を続けていくし、都合が合わなくなれば契約を打ち切るというのは、当然の利用の仕方だと思う。
ただ、正社員として定職につきたいが、派遣社員としてでないと仕事が見つからないとすれば、ここに問題があると思う。
それに会社としても、正社員の産休の間だけというような臨時の利用の仕方ではなく、都合が悪くなればいつでも切ればいいというような考えで、派遣社員を雇用調整として長期間利用し、景気が悪くなれば一方的に契約解除してしまうとすれば、ここにも問題があると思う。
やむを得ず雇用調整で倒産の危機を回避しなければならない場合もあるとは思う。
しかし、人を中心とした経営ということを考えれば、雇用調整で好不況の波を乗り切るのではなく、常に安定した雇用を図り、不況がくれば社員全員の力を合わせて市場を創造していくと共に、経費の削減や業務の効率化を推進していくような経営を目指したい。
冬本番
今朝、現場の下見や打合せをしてきた。
車から出ると、縮み上がるような厳しい寒さであった。
寒風のなか、震えながら地質調査の現場で仕事をしていたころを思いだす。
地質調査の現場での仕事は、真冬は厳しい寒さに晒される上、ホースやポンプの凍結を防ぐため、水抜き等の余分な作業が加わる。
それに、日も短い。
また、県北では積雪や路面の凍結のため、現場への通勤や機材の搬入にも手間と注意を要する。
現場で地質調査業務を長くやってきた自分でも、屋内での仕事になれれば、現場での苦労をつい忘れがちである。
景気も厳冬が来るかも知れないと予報されている。
寒さだけではなく、お金もない、顧客もない、仕事もない、信用もない環境の中で、一所懸命頑張ってやってきたころを思いだし、景気の冬を、気を引き締めて乗り切ろうと決意を新たにする。
ゴルフ 大スランプ
ゴルフへ行く回数は月に1回程度であるが、先週の月曜日(振替休日)と、土曜日と今週の日曜日に、社内や同友会のコンペ等があって、1週間に3回行くことになった。
ところが調子は、このところ非常に悪い。
月曜日のスコアはさんざんであったが、土曜日のスコアはこれよりまだ悪く、ゴルフを始めて1~2年目の頃にだしていたスコアであった。
どこかが、おかしくなっている。
そこで、土曜日は夕食のあと、ゴルフを始めたころに買った「ゴルフの基本」の本を引っぱりだして目を通した後、庭で念入りに素振り。
そして、日曜日のゴルフコースでは、基本をできるだけ思いだし、ボールの位置や身体の向きなどのチェックを丁寧に行って、スイングすることを心掛けた。
すると、好スコアとまではいかなかったが、そこそこの点をだすことができた。
やはり基本を忘れていた。疎かにしていた。
何事も基本が大切だと思った。
何事も慣れてくると基本を疎かにしやすい。
そして、場合によっては、どん底に落ちるまで、基本から外れていることに気づかない。
基本と言われるものは、原理原則に基づいている。
ゴルフに限らず、調子が悪いとか、うまくいかない時、もう一度基本を思いだしてみることにする。
もしかしたら、世の中の、自然界の原理原則から外れていることに気づくかもしれない。
元厚生次官宅連続襲撃事件小泉容疑者の動機から
元厚生次官ら連続殺傷事件の容疑者小泉毅の動機が、子供のころ、保健所にペットを処分された復讐だとしている。
保健所にペットを処分されたのは34年も前のことで、本当にそのことが動機だろうかと報じられていたが、ありえないことではないと思う。
以前、知人が高校時代の同窓会に行った時、AさんがBさんに
「高校時代のあの時、、あなたは私にこんなひどいことを言った。それがずっと胸に残っている。」というようなことを酒の席で言って、Bさんを責めていた。ずっと悔しく思っていたんだね。かわいそうだった。」
と話してくれたことがある。
また、織田信長も執拗な性格だったらしく、司馬遼太郎「国盗り物語」によると、信長は、天正8年7月に譜代家老である林道勝を、追放している。
その理由が、信長が少年だったころ、林道勝が家中の重臣どもとしめしあわせて弟の織田信行をたてようとしたことで、
「24年前の旧悪だが、おれはいままで堪忍していた。もはや我慢しかねるゆえ、今日限り当家を出て行け。」
と言って、身一つで追放してしまった。
遺恨は何十年も、場合によっては生涯心に残るということだと思う。
決めるということ
先日11月21日に投稿した「社内における公平について」の記事を読み返してみた。
言い方を変えて、まとめてみると、
一、誰から見ても公平にということは所詮無理なことである。
二、だから決められたことは、いちいち不平に思わず、自分に与えられた条件として素直に受け入れろ。
三、決めるということは、上司の責任であり権限でもある。
四、部下を持つ者は、えこひいきのないよう公正な判断を目指せ。
五、そのためには組織運営や人格の向上を目指して学べ。
ということで、間違ってはいないと思うが、上から押しつけている感じがしないでもない。
社員全員と同じ目線で考え、表現することはなかなか難しいと感じた。
なお、上記の「二、」のことは、決められたあとのことで、事によっては決める前に、できるだけ社員全員の意見を聞くことが望ましいと思う。
また、社内で何かを決める際には、経営理念や経営方針など、経営指針に基づいて決定することが重要である。
社内における公平について
先日ある出来事から、社内において誰から見ても、公平に、平等に、差別なくということを実現するのは、不可能であることに気づかされた。
社内で、物事を公平に処理したり、平等に成長の機会を与えたり、差別なく部下と接することは、会社として目指すべき姿である。
しかし、人によって価値観、人生観、物の見方考え方が違うから、何事においても誰が見ても、公平に感じるようにすることは、不可能である。
社内全体の満足度を高めようとして、公平ということを主張すれば、社内のあらゆる所から、不公平と感じる事柄がでてきて、逆に不満を招く原因となりかねない。
個人として、満たすことのできない公平を追求し過ぎると、心も満たされない。
個人としては、公平を追求するよりも、与えられた環境を素直に受け入れるとともに、人に得を分け与えることができるような思いやりのある人間になることを、全社員が目指していくことができれば、徳のある素晴らしい社風となるのではないだろうか。
社内において、公平を徹底することは不可能であるが、目指すべきことであることに変わりはない。
組織内の公平を目指して物事の判断をするのは、上司の役割であり権限であると思う。
部下を持つ者は、どういうことが真に公平、平等であるか、差別していい事と差別すべきではないこと等を学び続けると共に、公正な判断ができるよう、人格の向上を目指していくことが望まれる。
雇用情勢悪化
今日の昼、テレビで、
「19日に開かれた自民党の雇用問題に関する会合で、厚生労働省は、世界的な金融危機の影響で、今後雇用情勢が急速に悪化し、失業率の上昇も、過去最悪を記録した平成14年よりも速いスピードで進むおそれがあると指摘した。」
といったニュースが流れていた。
こういう状況を反映してか、昨日行われた中小企業家同友会共同求人委員会主催の合同企業説明会には、前回と比べ多くの学生が訪れた。
当社のブースには、男女合わせて7名訪れ、訪れた方々に業務内容や経営方針などを説明した。
前回の説明会より、就職活動に意欲的な学生が多かったように思う。。
なかには、既卒者で、社会人として経験された方もおり、雇用情勢が厳しくなりつつあるのを感じさせられた。
今こそ、雇用の受け皿として、意欲的にどんどん採用といきたいが、こればかりは会社の実力をつけないと、思いだけで採用したのでは、経営が行き詰まる基となる。
やはり自社としては、当初の計画通り採用していく方針であるが、中小企業家同友会での活動を通じて、微力ではあるが中小企業の活性化に協力し、雇用拡大に貢献できればと思う。
そのためには、自社が不況に喘いでいては何もできない。
がんばろう!
渡辺和子氏講演
昨日、岡山県中小企業家同友会教育講演会が開催された。
講師は、ノートルダム清心学園の渡辺和子理事長である。
渡辺和子氏の講演は、以前テープで聴いたことがある。
その内容が目から鱗が落ちるような、素晴らしい内容であったので、その時から願っていた、中小企業家同友会での講演が実現した。
講演の内容もさることながら、控え室で名刺交換させていただいた時から、内から滲み出る素晴らしい人間力みたいなものを感じた。
講演会は、1000人を超える入場者数であったが、お会いして、また直に講演を聴いて、ファンが多いのがより理解できた。
ご高齢であるが、少しでも長く健康で人々の生きる力になっていただきたいと願う。
田母神航空幕僚長の論文を読んで
今問題となってる田母神幕僚長の論文を、インターネットで読んでみた。
日本を愛し、日本人として誇りを持たせる素晴らしい論文だと感じた。
この論文が、叩かれるのは日本が戦争に負けたからだと思う。
大東亜戦争が始まる前、アジア諸国の多くは白人の植民地になっていたのは事実である。
これらの国が独立国になったのは、大東亜戦争がきっかけになった。
過去に侵略の事実があっても、戦勝国に対して、侵略国だとか謝罪しろとか言っているのを聞いたことがない。
アメリカは戦争末期、瀕死の日本に原爆を落としたり、機銃掃射をしたりした。都市爆撃にしても、民間人が逃げることが困難な爆弾の落とし方をした。
これらの非道な行為に対して、日本は敗戦国だから何も言えない。
平家は悪者で、平清盛は極悪非道のようにいわれていることもあるが、これも敗者であるからだ。
本当に極悪非道の人物であれば、平治の乱の後、敵方の子である幼少の頼朝を生かしておかないだろう。
幕僚長の立場では、自衛隊員に日本のいいところを伝え、日本国民として誇りを持たせようとするのは当然だと思う。
政府としては、今回のような論文を幕僚長からだされたのでは、外交上非常にまずいので、論文を書いた本人を叱りとばしたという感じだ。
韓国や中国に気使うことがなければ、更迭するようなことはしないのではないだろうか。
所属する組織に誇りを持たせることが必要なのは経営者も同じで、自社に誇りを感じさせないないようでは、士気は上がらない。