仕事や会合などが終わった時、よくいわれる挨拶が「お疲れ様」だ。
「さよなら」は、私の年齢同士ではなんとなくあわなような気がするし、「ご苦労様」は、上の者が下の者を労う言葉と言われているから、部下や家族などに言う時以外には使いにくい。
「ありがとうございました」と言ってもおかしくない時は、「ありがとうございました」を使うようにしているが、やはり「お疲れ様」が一番使いやすくて便利な言葉のような気がする。
ところが『、「お疲れ様」と言われると、本当に疲れてくるような気がする。お元気様と言おう。』と言われる方もいる。
それはそれで結構なことだと思うのだが、先日、日本に詳しい外国人の方が、テレビで
「お疲れ様という言葉には、あなたが疲れるほど頑張っていたのを見ていましたよ。という意味がある。」
と言っていた。
ふだんあまり意識していなかったが、たしかにそんな意味で使っている。
頑張って作業を終えた人には、心から「お疲れ様でした。」という言葉がでてくる。
「お疲れ様と言われると本当に疲れてくる」と言われているのを聞いてから、「お疲れ様」は使いにくいような気がしていたが、やはり仕事や会議が終わった時の挨拶は、
「お疲れ様でした。」
でもいいと思う。
そして、心から「お疲れ様」と言えるように、相手のことをよく見ていようと思う。
少し今までの内容と外れるが、
「武士(もののふ)は己(おのれ)を知る者のために死す」
という言葉がある。
人には、自分のことを見ていて、理解してもらいたいという気持ちがあるということだと思う。
お知らせ
お疲れ様
終身雇用非年功序列主義
派遣労働者を中心とした解雇、失業が連日のように報道されている。
先日のブログにも記したが、長期で派遣会社を利用している会社は、仕事が少なくなれば契約を打ち切る方針で利用している所が少なくないと思われる。
従って、景気が低迷してくれば現在のような状況になることは、予想できたことである。
多くの人が、長く幸せに暮らせる社会を創っていくには、終身雇用を前提とし、企業は社員の一生に責任を持ち、社員は会社を発展させていくことによって自分や家族も豊かになっていくという気を持ち、自分の会社を愛し、、誇りに思って働ける会社が必要だと思う。
終身雇用と年功序列がセットのように言われることがあるが、終身雇用が必ずしも年功序列ではない。終身雇用と言われた時代でも、実力重視による抜擢人事等は行われてきた。
終身雇用非年功序列というのが、私の目指すところである。
ただ、非年功序列といっても、年長者や先輩を敬う気持ちは大切にしていきたい。
企業変革支援プログラム検討プロジェクト会議
昨日、企業変革支援プログラム検討プロジェクト会議が、東京の中小企業家同友会全国協議会で、午後1時から開催された。
最初に、これまでに編集されたステップ1(導入編)の冊子作成に伴い、同友会会員の冊子製作業者を対象としたコンペの審査を行った。プロジェクトメンバーが、提出されたサンプルや見積等の評価を行ったが、どの業者もデザインや編集等が素晴らしく、甲乙付けがたい。完成が楽しみである。
続いて、ステップ2(本編)の全体像や作成スケジュール等について検討された。
ステップ2は、ステップ1で明確になった経営課題克服のためのガイドとなるものである。
中小企業家同友会は、経営者の姿勢や労使見解などの精神論的なことだけではなく、科学的に業績をあげいくことにも力を入れ、実際に企業変革プログラムのようなツールを開発し、良い会社を増やしていこうとしていることは凄いことだと、改めて感じた。
プロジェクト会議のあと、大塚駅近くの居酒屋で望年会を19時まで行い、20時10分東京駅発の新幹線で帰岡した。
人間にとって仕事とは
昨日、岡山県中小企業家同友会の社員共育大学で、「人間にとって仕事とは」というテーマで、問題提議と討議が行われた。
仕事は、暮らしの糧であるとか、人間として成長させるものであるとか、社会貢献の場であるとか等、仕事の意味はいろいろあると思うが、別の見方をすると、仕事とは人生そのものであるとも言える。
定年などで、仕事をやめると急に老け込んでくる人がいるのを見ると、特にそう思う。
ところが、仕事を楽しくやるように心掛けているとか、努力しているという人は多いが、心から仕事が楽しいと思って仕事をしている若者は、多くないはように感じた。
仕事にやりがいとか、生きがいを見いだせる人は、仕事が楽しいし、幸せだと思う。
ある農園経営者は、農業が好きで好きでたまらないらしく、「稲の苗を持ったまま田植えをする姿勢で、バタンと前のめりになって死ねたら本望だ」と言っていた。
あるボーリング会社を経営している友人は、「俺は一生穴掘りだ」といって、直径が1mもあるコアを取り出す機械を開発した。(コアとは地中の土質サンプルのことで、ボーリングでサンプリングされるコアの直径は、7cm以下が多い。コアの直径が大きいほど礫や玉石の状態を確認しやすい)
また、貿易商を営んでいる友人は、会うたびに「今日は儲かりましたか?」と言われる。決して金の亡者という感じではなく、「今日は儲かりましたか」という挨拶のなかに、我々は商人だいうことに誇りを持っているように感じられる。
この方々は、憧れて今の仕事を始めた人達ばかりではないと思うが、自分の仕事を愛し、誇りを持って一所懸命やっている。
こういう人たちを見ても、仕事とは人生そのものだと感じる。
仕事が人生そののだとすれば、仕事にやりがいや生きがいを見いだすことは、とても大切なことだ。
そのためには、自分に与えられた仕事を、中途半端な気持ちではなく、本気でやることだと思う。
天は無常無自性(自然は常に変わり、本来自分というものは無いという意味)
人は一期一会
私は一所懸命
という二宮金次郎のビデオにでてきた和尚の言葉を思いだした。
人材派遣の利用
派遣社員の契約打ち切りが社会問題として報道されている。
当社でも、かつて2名の派遣社員を利用していたが、今年の春に、1名の派遣社員の契約更新をせずに打ち切り、もう1名は派遣会社と交渉して、当社社員として雇用した。
派遣として働いている人が、みんな正社員を望んでいるわけではない。
派遣の方が精神的に束縛されないからいいという人もいた。
派遣社員は短期雇用が前提で、会社と派遣労働者との都合が合えば契約更新を続けていくし、都合が合わなくなれば契約を打ち切るというのは、当然の利用の仕方だと思う。
ただ、正社員として定職につきたいが、派遣社員としてでないと仕事が見つからないとすれば、ここに問題があると思う。
それに会社としても、正社員の産休の間だけというような臨時の利用の仕方ではなく、都合が悪くなればいつでも切ればいいというような考えで、派遣社員を雇用調整として長期間利用し、景気が悪くなれば一方的に契約解除してしまうとすれば、ここにも問題があると思う。
やむを得ず雇用調整で倒産の危機を回避しなければならない場合もあるとは思う。
しかし、人を中心とした経営ということを考えれば、雇用調整で好不況の波を乗り切るのではなく、常に安定した雇用を図り、不況がくれば社員全員の力を合わせて市場を創造していくと共に、経費の削減や業務の効率化を推進していくような経営を目指したい。
冬本番
今朝、現場の下見や打合せをしてきた。
車から出ると、縮み上がるような厳しい寒さであった。
寒風のなか、震えながら地質調査の現場で仕事をしていたころを思いだす。
地質調査の現場での仕事は、真冬は厳しい寒さに晒される上、ホースやポンプの凍結を防ぐため、水抜き等の余分な作業が加わる。
それに、日も短い。
また、県北では積雪や路面の凍結のため、現場への通勤や機材の搬入にも手間と注意を要する。
現場で地質調査業務を長くやってきた自分でも、屋内での仕事になれれば、現場での苦労をつい忘れがちである。
景気も厳冬が来るかも知れないと予報されている。
寒さだけではなく、お金もない、顧客もない、仕事もない、信用もない環境の中で、一所懸命頑張ってやってきたころを思いだし、景気の冬を、気を引き締めて乗り切ろうと決意を新たにする。
ゴルフ 大スランプ
ゴルフへ行く回数は月に1回程度であるが、先週の月曜日(振替休日)と、土曜日と今週の日曜日に、社内や同友会のコンペ等があって、1週間に3回行くことになった。
ところが調子は、このところ非常に悪い。
月曜日のスコアはさんざんであったが、土曜日のスコアはこれよりまだ悪く、ゴルフを始めて1~2年目の頃にだしていたスコアであった。
どこかが、おかしくなっている。
そこで、土曜日は夕食のあと、ゴルフを始めたころに買った「ゴルフの基本」の本を引っぱりだして目を通した後、庭で念入りに素振り。
そして、日曜日のゴルフコースでは、基本をできるだけ思いだし、ボールの位置や身体の向きなどのチェックを丁寧に行って、スイングすることを心掛けた。
すると、好スコアとまではいかなかったが、そこそこの点をだすことができた。
やはり基本を忘れていた。疎かにしていた。
何事も基本が大切だと思った。
何事も慣れてくると基本を疎かにしやすい。
そして、場合によっては、どん底に落ちるまで、基本から外れていることに気づかない。
基本と言われるものは、原理原則に基づいている。
ゴルフに限らず、調子が悪いとか、うまくいかない時、もう一度基本を思いだしてみることにする。
もしかしたら、世の中の、自然界の原理原則から外れていることに気づくかもしれない。
元厚生次官宅連続襲撃事件小泉容疑者の動機から
元厚生次官ら連続殺傷事件の容疑者小泉毅の動機が、子供のころ、保健所にペットを処分された復讐だとしている。
保健所にペットを処分されたのは34年も前のことで、本当にそのことが動機だろうかと報じられていたが、ありえないことではないと思う。
以前、知人が高校時代の同窓会に行った時、AさんがBさんに
「高校時代のあの時、、あなたは私にこんなひどいことを言った。それがずっと胸に残っている。」というようなことを酒の席で言って、Bさんを責めていた。ずっと悔しく思っていたんだね。かわいそうだった。」
と話してくれたことがある。
また、織田信長も執拗な性格だったらしく、司馬遼太郎「国盗り物語」によると、信長は、天正8年7月に譜代家老である林道勝を、追放している。
その理由が、信長が少年だったころ、林道勝が家中の重臣どもとしめしあわせて弟の織田信行をたてようとしたことで、
「24年前の旧悪だが、おれはいままで堪忍していた。もはや我慢しかねるゆえ、今日限り当家を出て行け。」
と言って、身一つで追放してしまった。
遺恨は何十年も、場合によっては生涯心に残るということだと思う。
決めるということ
先日11月21日に投稿した「社内における公平について」の記事を読み返してみた。
言い方を変えて、まとめてみると、
一、誰から見ても公平にということは所詮無理なことである。
二、だから決められたことは、いちいち不平に思わず、自分に与えられた条件として素直に受け入れろ。
三、決めるということは、上司の責任であり権限でもある。
四、部下を持つ者は、えこひいきのないよう公正な判断を目指せ。
五、そのためには組織運営や人格の向上を目指して学べ。
ということで、間違ってはいないと思うが、上から押しつけている感じがしないでもない。
社員全員と同じ目線で考え、表現することはなかなか難しいと感じた。
なお、上記の「二、」のことは、決められたあとのことで、事によっては決める前に、できるだけ社員全員の意見を聞くことが望ましいと思う。
また、社内で何かを決める際には、経営理念や経営方針など、経営指針に基づいて決定することが重要である。
社内における公平について
先日ある出来事から、社内において誰から見ても、公平に、平等に、差別なくということを実現するのは、不可能であることに気づかされた。
社内で、物事を公平に処理したり、平等に成長の機会を与えたり、差別なく部下と接することは、会社として目指すべき姿である。
しかし、人によって価値観、人生観、物の見方考え方が違うから、何事においても誰が見ても、公平に感じるようにすることは、不可能である。
社内全体の満足度を高めようとして、公平ということを主張すれば、社内のあらゆる所から、不公平と感じる事柄がでてきて、逆に不満を招く原因となりかねない。
個人として、満たすことのできない公平を追求し過ぎると、心も満たされない。
個人としては、公平を追求するよりも、与えられた環境を素直に受け入れるとともに、人に得を分け与えることができるような思いやりのある人間になることを、全社員が目指していくことができれば、徳のある素晴らしい社風となるのではないだろうか。
社内において、公平を徹底することは不可能であるが、目指すべきことであることに変わりはない。
組織内の公平を目指して物事の判断をするのは、上司の役割であり権限であると思う。
部下を持つ者は、どういうことが真に公平、平等であるか、差別していい事と差別すべきではないこと等を学び続けると共に、公正な判断ができるよう、人格の向上を目指していくことが望まれる。