昨日の日本経済新聞の1面に、GMの破綻について次のようなことが掲載されていた。
GMは、20世紀型の企業経営のお手本とされた。
だが、これらの経営モデルは右肩上がりの成長が前提である。
第2次世界大戦中、経営学者ピーター・ドラッカーがGMに招かれ、1年半に渡って組織や経営を調査したことがある。
すでに20年以上トップに君臨していたアルフレット・スローンがつけた注文は、
「こんな助言なら気に入ってもらえそう、などと決して妥協するな。」
だったという。
また、ドラッカーは、
「私が裸の王様かどうか見極める必要がある。」
と、スローンにしばしば意見を求められたともいう。
であるのに、「人が作ったもので四半世紀以上有効なものはなく、GMの経営も例外ではない」と説いたら、経営陣に総スカンだったという。
スローン自身の著書「GMとともに」を
「変化に対応していかなくてはいけない。」
と締めくくったのに、結局それを生かすことはなかったのか。
以上であるが、このことから学ぶことは多い。
・経営について学び、自社で実践していることが、右肩上がりを前提としていることではないだろうか。
・社員や関係者に意見を求め、自分が気に入らない答えが返ってきても、情報として謙虚で素直に聞き入れているだろうか。
・変化に対応していかなくてはいけないと、自分で普段いっていることが、本当に心の底から理解し、それに対応できているだろうか。
など、もう一度自社と自分自身を見つめてみる必要があると思った。
お知らせ
GM破綻から
全力で戦ってきたことへのこだわり
プロ野球 楽天のエース岩隈投手、今年はエースの座を田中投手に奪われそうな様子だが、岩隈投手は、近鉄とオリックスが合併した時、
「今まで力を尽くして戦ってきた相手と一緒にはなれない。」
というようなことを言って、オリックスへ行くことを固辞し、楽天へ入団した。
また、A信用金庫が破綻してB信用金庫に譲渡された時、当社を担当していたA信用金庫のO氏は、
「今まで競合して戦ってきた所へは行けない。」
と、他の信用金庫へ再就職した。
これは、今まで全力を尽くして戦ってきたことへのこだわりがそうさせるのだと思う。
「敵の軍門に降るぐらいなら」というような思いだったのだろうか。
このことについて賛否両論あると思う。
岩隈投手や信用金庫のO氏のように、武士のようなこだわりを持ちながら、牙を剥いて野性的に全力で戦うところがあってもいいと思うし、昨日の敵は今日の友で、新しい環境でがんばればそれでいいとも思う。
不況時、社員が多いと経営が大変?
最近、不況の話が出ると、
「あんたところは、人(社員数)が多いから大変ですねえ。」
と、時々言われる。
本当に、社員数が多いと大変なのだろうか?
1+1=3にも4にもなるのが組織である。
大きなシートを、一人で折りたたむより、二人で折りたたんだ方が楽で、何倍も速くたためる。
重い物、例えば重い机を運ぶ時も、二人で運んだ方が安全に速く楽に運ぶことができる。
また、社員数が多い方が、各々が得意とすることを生かしやすい。
これと同じことが、組織でも言える。
もし、今の不況の時、人が多いから会社の運営が大変だとしたら、不況を乗り切ることに向かって、組織が十分機能していないからだと思う。
組織として機能していない状態とは、机を運ぶにしても、1人で苦労して運んでいる者がいたり、1人で運んでいる者がいることに気づかなかったり、あるいは気づいても手伝わない者がいたり、何をして良いか分からない者がいたりで、効率よく仕事ができていない状態である。
現在、当社の組織がうまく機能しているかどうかはさておき、より総合力を発揮できる組織にするために、協働しやすい組織にしていきたい。
そのためには、各部門の境を取り払い、1人ひとりが協働の意識を持ち、他部門を手伝うことができる幅広い能力を身につけることや、人間尊重の管理能力向上が必要だ。
同じ釜の飯を食っている仲間として、協働重視の運営を行い、1+1が4にも5にもなる組織を目指し、経営理念に向かって前進する。
中国地質調査業協会総会出席日記
昨日、中国地質調査業協会総会に出席してきた。
JR高島駅から在来線で岡山駅に着いたのは午前11時半頃。
駅弁を買い、時間的に余裕があったので、空いている「こだま」に乗り込む。
新型インフルエンザが少し気になった。
新型インフルエンザは、メキシコで発生してから、国を挙げて侵入を警戒していても、短期間で日本へ上陸し、身近なところまでやってきた。
今回の不況も、アメリカでおきたサブプライムローン問題を発端に、あっという間に世界を駆けめぐり、地元の中小企業も影響を受けている。
不況もインフルエンザも世界規模で対策を講ずることが必要な時代になっている。
そんなことを考えながら昼食をすませ、用意してきた本を読む。
「のぞみ」や「ひかりレールスター」の広島までの所要時間は40分程度。「こだま」では、約1時間半かかるが、席が空いているので、ゆっくり昼食をとり、本を読むには丁度いい時間と空間だ。
午後1時20分頃広島駅に到着。
路面電車を利用して、中区大手町の鯉城会館へ行く。
広島の路面電車は、市内150円均一で、私のようなよそからきたものでも利用しやすい。
鯉城会館内に設けられた総会会場に着いたのは、予定時刻の30分ほど前。ロビーで知人と雑談の後、会場内へ入る。
協会事務局長の司会で、総会が始まった。
退会者が増え、会員数は2000年に比べ現在は70%にまで減っている。
それに、出席率が悪い。
以前は出席率が90%以上あったと思うが、今年は50%を下回っている。
岡山県中小企業家同友会総会も、今年は出席率が例年より低かったように思うが、これも不景気の影響だろうか。
例年通り、理事長開会の挨拶の後、会務報告、収支決算報告、21年度事業計画案の承認、21年度収支予算案の承認の後、役員の任期満了に伴う役員改選が行われ、新役員の紹介で総会は終了した。
記念講演は、国交省中国地方整備局課長が、「業務の入札契約制度について」と題して、入札制度の仕組みや評価の仕方などを説明された。
講演会の後は懇親会。理事長の
「退会者が全国的にも多い。入会していてもメリットが少ないという理由が多いが、我々の協会では会員の技術向上を目指している。協会を、各社の技術向上のために大いに活用して頂きたい。」
というような開会の挨拶で始まった。
懇親会では、名刺交換をしたり共通の知人や仕事の話などで過ごした。
会場を出ると、外はいつの間にか雨。
折りたたみ式傘をさして、ほろ酔い気分で雨の街を歩き、少々混んでいる路面電車で広島駅へ行き、帰りの新幹線は「のぞみ」で岡山駅まで帰り、宇野バスで帰宅した。
読書会 孔子
先週、久しぶりに岡山県中小企業家同友会の読書会に出席した。
担当は土井代表で、テーマは 井上靖著「孔子」。
土井代表にあらすじ、要点を発表していただいたあと、感想をだしあった。
孔子は、紀元前551年~前479年に生きた人物である。
不幸な人を少なくするためにはどうすればよいか努力した人で、その思想や数々の名言は、2千5百年経った今も言葉に重みがあり、学ぶべきことが多い。
科学は進歩しても、人間の心理や考え方はあまり進歩していないということだろうか。
孔子の人柄「その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しんで以って憂いを忘れ、老いまさに至らんとするを知らず。」
井上靖著「孔子」は、春秋末期の戦乱に生きた孔子の人間像を描いた歴史小説で、今回の読書会を機会に味読している。
バイキング
昨日、友人3人で某ホテルのバイキングへ行った。
メンバーのうち一人は現在禁酒中であることをうっかり忘れて、飲み放題のコースで予約してしまったが、1人だけソフトドリンクのコースに変更してくれた。
飲み放題のコースの場合、グループの一人が飲まなくても全員同じ飲み放題の料金を要求されることが多いが、ここでは1人ひとりの要求に合わせてくれるのでありがたく感じた。
さらに、時間制限はないので、会場へ来た者から始めることができた。
また、バイキングの場合食べ残しを少なくするためか、とり皿はひとつしか渡さないビヤガーデンもあるが、ここではお皿の制限はない。
蟹も食べ放題。社内旅行でいった山陰の蟹食べ放題ツアーは、蟹を切るハサミがなく、食べるのに時間がかかったが、ここでは蟹用のハサミも用意してあった。
以上のようなことから何を感じたかというと、飲み放題の時間制限をしたり、グループ全員飲み放題の料金設定でないとだめだったり、お皿をひとつしか渡さなかったりして運営するよりも、お客様がより満足できるようなやり方のほうが、結局は繁盛して良い結果を産み出すのではのではないだろうかということ。
このホテルのバイキングは、満員か満員に近いお客様で賑わっていた。
バブル崩壊後不況を超える最悪の業況悪化
先日、中小企業家同友会全国協議会(中同協)から送られてきた「同友会景況調査報告」には、世界経済、日本経済の景気は急降下し、バブル崩壊後不況を超える最悪の事態を迎えたと記されていた。
業況ID、業況水準ID、売上高ID,経常利益IDの4指標がすべて調査開始以降、最大のマイナス値になったということである。
しかも、これで下げ止まるのではなく、4~6月期はさらに悪化することが予想されている。
今日の山陽新聞朝刊には、岡山県信用保証協会の代位弁済が、前年度は過去最多の109億円、前年対比23%増であったと記載されている。
それまで最も多かったのは、2001年度の95億7400万円で、2003年度には49億円まで減少したが、その後増え続け2007年度は88億円であったという。
同友会景況調査報告などから、現在多くの企業が今まで経験したことがないほど厳しい嵐のなかに置かれており、今後さらに厳しさは増して暴風圏内に突入していくことが予想される。
このような時代、今までのやり方で「こんな時こそ元気を出そう」とか、「ピンチはチャンスだ がんばろう」だけでは、なにも変わらない。
同友会景況調査報告の記述回答の、嵐に立ち向かう心得として、「ピンチをチャンスに変えるには、考え方も変える必要がある、良い変化をするには何をすればいいかを考える。」とか「仕事がないので見つける。仕事がないので作るしかない。」等、経営者の姿勢・心得を表現した言葉が記載されていた。
考え方を柔軟にして、情報を収集し、分析し、顧客の立場を考え、現状を見極め、戦略を見直し、新たな打つ手を決めて実行していくことが大切だと考えている。
とにかく、いまやらなければならないことを明確にして、自社の力を信じ、取引業者も含めて全員で元気よく、力を合わせて暴風雨を乗り切ろうと思う。
今年のゴールデンウィーク
今年は、9月にも土曜日を除いて休日が4日続く週があり、ゴールデンウィークが年2回あると言えるが、春のゴールデンウィークは昨日で完全に終わった。
私の今回のゴールデンウィークは、1日はドライブ、後の日はほとんど家の中や倉庫の整理整頓で過ごした。
ドライブは、混雑が予想される高速道路をさけて、一般道路で鳥取砂丘へ向かったが、予定地へ近づくと、「鳥取砂丘 駐車場満車、付近道路渋滞」の案内表示。
そこで、鳥取砂丘行きは断念して、白兎海岸へ進路を変更。
白兎海岸でも人は多く、食堂は満員で、かなりの待ち時間が予想されたので、さらに西へ車を走らせ、東郷湖の畔にある中国庭園燕趙園へ行った。
ここでも人は多かったが、混雑というほどではなく、ゆっくり食事や庭園の観賞を楽しむことができた。
ドライブの途中、マイカー自粛運動の表示が所々にあった。この目的は表示されていなかったが、たぶん渋滞緩和か二酸化炭素削減による温暖化防止の為だろうと思う。
休日高速道路千円上限の政策は、この運動と矛盾していると思いながら、車を走らせ、帰路に向かった。
後の日は、先にも述べたように、ほとんど整理整頓で過ごした。
不用になった机や椅子、衣類、絨毯、その他大小のいらない物が沢山でてきた。
片づけながら、今までいかに家の中のことに意識を向けていなかったかということを大いに反省した。
このことは、物だけではなく、心の面でも家庭にあまり目を向けていなかったのではないかと思い、家族にすまない気持ちになってきた。
仕事も家庭も、自分の生きざまを表していることに変わりはないと改めて思う。
生きているものとして、動物にも劣る幼児虐待
親が子供を虐待し、時には死に至らしめる事件が後を絶たない。
子供をベランダへ長時間置き去りにして衰弱させたとか、子供に熱湯を掛けたとかいう記事を見ると気分が悪くなるし、悲しくなる。
いろんな病的な心理状態で、このような普通では理解しがたい行動を起こすのだろうが、畜生にも劣る行為である。
6年ほど前の話であるが、家内が近所の酒屋のおかみさんから、次のような話しを聞いてきたことがある。
この酒屋さんの近くに、おなかの大きい犬が捨てられていた。
やがて、この犬は2匹の子犬を産んだ。
でも、親犬は痩せていて、乳がでない。
酒屋のおかみさんは、かわいそうになって、親犬に餌を与えた。
そうすると親犬はこれを食べて、吐き出して軟らかくして子犬に与えていた。
学校から帰る途中の、小学生の子供たちは、子犬がかわいくて、触ろうとする。
親犬は子犬を守ろうとして、小学生の子供たちに吠える。
これを見た子供たちの母親は、保健所に通報した。
保健所からきた職員は罠をしかけ、親犬を連れ去った。
そして、翌日には子犬も連れていったそうだ。
この話を聞いたとき、犬の親子を哀れむと共に、人間の身勝手さを腹立たしく感じた。
時代の流れで、今はこの酒屋さんはないが、親が子を愛する気持ちや行動は、動物も人間も時代を超えて不変のものだと思う。
幼児や児童を虐待する事件が後を絶たないということは、親が子を守るという本能が欠如した人間が絶えないということであろうか。
それとも生きているものとして、異常な精神状態になっている人間が多いということだろうか。
アシュリーさんの死から思うこと
昨日、通常の人に比べ約10倍の速度で老化が進む、プロジェリアと呼ばれる難病と戦っていたカナダのアシュリー・へギという少女が、亡くなったとのニュースが報じられていた。
アシュリーさんは、生前、
「わたしがプロジェリアだということには、ちゃんとした理由があるの。神様が与えてくれたものだから、すてきなことなのよ。だから、わたしは大丈夫。」
と話し、
「死ぬのは悲しいことだけど、必ず訪れるものだと思うの。」
と、17歳であまりにも早すぎる死を迎えたという。
アシュリーさんの、自分の生涯を前向きに生き抜く心は、宗教からくるものかどうかは分からないが、
「幸せに生きるということは、外部環境や運命といわれるようなもので、左右されるものではない。」
と思った。
アシュリーさん、天国で安らかに。