岡山同友会大学「どうなる、これからの日本経済の方向」
先日の同友会大学は、神戸大学教授の経済に関する講義で、「どうなる、これからの
日本経済の方向」というテーマだった。
今回の不況は、百年に一度の経済危機と言われているが、決して大げさではなく、世界恐慌といってもいい。そして、この状況がいつまで続くか、本当のことは誰にも分からない。
不況の要因は金融危機によるものだけではなく、格差社会も要因になっている。お金が上層へ集まり、一般労働者の所得が低下しているため、消費が増えにくい。
上層へ集まった金の多くは、投資へ回され、地域でお金が循環する仕組みになっていない。
不況対策は、政府が無理やりにでも日本銀行からお金を借りて、余って動いていない労働力を動かすことが有効だ。余っている労働力を動かすには、昔は戦争だったが、現在は福祉など役に立つことに使えばいい。
そして、国内の需要、地域の需要を増やし、地域循環型の社会を構築していくことが必要だ。
というような内容だったと思う。
地域に根ざした中小企業が発展するような国にならないと、国民は本当に良くならないのではないかと思う。
百年に一度の世界恐慌といってもいいと言われた今回の不況、短くはないと思って手を打っていったほうが良いと思った。早く回復すればそれに越したことはない。
唐津市の地質調査機械製造工場見学
2月13日、熊本で行われた中小企業問題全国研究集会のあと、佐賀県唐津市の地質調査機械製造工場へ行った。
博多駅から筑肥線で約1時間半。東唐津駅で下車し、雨のなか出迎えてくれたメーカーの方の車で工場へ18時頃到着。
事務所には、まだ多くの社員さんがいて、皆さん立ち上がって挨拶をしていただいき、社員教育が行き届いている印象を受けた。
応接室でお茶をいただいた後、生産本部長のガイドで工場内を見学させていただいた。
工場内は、就業時間終了後ということもあって、ほとんど社員さんはいなかったが、整理、整頓、清掃が行き届いていた。
生産本部長にそれぞれの機械や材料の用途を説明して頂いた。想像していたより手間をかけ、丁寧に製造されいると感じた。
溶接は必ず有資格者が行うということや部材の管理方法などから、この工場の品質へのこだわりが感じられた。
ほぼできあがった機械の色は3種類ほどあった。メーカーとしての基本の色は青色だけれど、他の色はお客様の要望にそって、塗装しているということである。
工場見学の後、唐津城近くの料理店へ案内していただいた。社長が東京出張ということで、会長と弊社担当の広島支店長が食事の相手をしてくださった。
会長といってもまだ62歳で、代表取締役会長と工学博士の肩書きが書かれた名刺を頂いた。
地の料理を頂きながらのお話のなかで多くのことを学ばせて頂いた。
会長、生産本部長、広島支店長の方々から学ばせていただいたことをまとめてみると、
・お客様の利益を考える。
・社員を大切にする。
・時代の先を読み、ビジネスにつなげる。
・自分たちでできる業務改善提案の中から優秀なものを表彰する。(改善の表彰は定期的に行われ、製造部門だけではなく営業部など全部門が対象となっているとのこと)
・有資格者をボードに貼りだす。
・お客様の言われることを良く聞き、できるだけ要望を受け入れる。
・お客様にいい仕事をしていただこうとの思いで機械や道具を作っている。
等である。
「外部環境が悪化しているけど、御社ではどうか」の問いに、「いくらかキャンセルがでているけど、業績はあまり落ちていない」との答えが返ってきた。
社員教育や品質管理に真剣に取り組み、しっかりとした経営をされているとの印象を持って、翌日帰岡した。
中小企業問題全国研究集会 熊本
2月12日・13日の二日間、熊本市で中小企業家同友会全国協議会が主催する「第39回中小企業問題全国研究集会」が開催された。
1日目は分科会で、私は「決してあきらめない それが経営者の責任」というテーマの第12分科会に参加した。
第12分科会は、愛知で組み込みソフトウェア開発等を行っている社長の報告で、
大学の同級生3人で創業。社員はしだいに増え、業績も順調だったが社内はばらばらで、会社をやめていく社員が多く、何のために自分は経営をしているのか分からなくなって廃業まで考えた。そんな時、同友会に入会し、労使見解を学んだ。経営指針を作って1年目は誰もやめなかった。
現在、急転直下の不況に受注が激減し、今後の対策を模索している。
というような内容であった。「このまま最後まで行って、会社を潰して『正義を貫いた』と言えるだろうか』とか、『会社を潰すということは自分の人生そのものを失うことになる』というような深刻な話もあった。
グループ討論や座長から、「もの分かりのいい経営者だけではだめで、社員と真剣に向き合って話をすることが必要だ」とか「同友会の会員同士で雇用の受け皿になることも必要ではないだろうか」というような声も聞かれた。
不況の時こそ変化させるチャンスであり、全社の英知を集めて、この危機を乗り切ることが必要だと思う。
1日目の夜は懇親会で、熊本名物の辛レンコンや馬刺しなどで、舌鼓を打った。
2日目は、来賓の熊本県知事が「逆境の時こそ夢がある。夢を掘り起こし1歩を踏み出そう」と挨拶されたあと、農業生産法人 コッコファーム社長 松岡義博氏の「田舎(ふるさと)を宝に」というテーマで記念講演が行われた。
11時半に閉会され、岡山同友会の仲間と昼食の後、博多まで同行し、私は滋賀県の唐津市へ向かった。
人間ドック
昨日、今日と一泊で人間ドックを受けてきた。
胃カメラ、大腸内視鏡、MRI、PET-CT検査などで、全身の検査をしてもらった。
昨日からの食事は、昨日の夕食と今日の昼食だけ。
1日1食でも、そういう環境に身を置けば、特に苦痛とは感じないものだ。
病院でだされた貴重な食事は、ちょっとした料亭なみの献立であった。また、病院のスタッフの応対も良く、検査医療施設と共に、サービス面でも満足度は高く感じた。
検査結果は、血糖値が基準より幾分高かったが、それでも昨年よりは良くなっていた。
その他は、基準値内でひと安心である。
最近酒を飲む量が少し増えていたので肝臓が心配であったが、問題ないということで、今日からまた酒が美味しく飲める。
(といってもそんなに飲める方ではなく、通常は、晩酌は缶ビール350cc1缶、多いときでも2缶、日本酒なら180cc、宴会等外で飲む時でも生ビール中3杯までであるが、最近これを少しオーバーすることが多かった)
でも、せっかくまずまずの健康状態であることが確認できたのだから、お酒はほどほどにし、適当な運動をし、食事もカロリーを考慮して、健康に気を付ながら、この厳しい経営環境のなかを目標に向かって頑張ろうと思う。
203高地攻略から
司馬遼太郎の「坂の上の雲」によれば、
児玉源太郎は、旅順攻囲戦において、突撃の命令を繰り返しては膨大な死傷者をだしている乃木希典大将に変わって指揮をとり、203高地を陥落させた。
この時、児玉源太郎がまず行ったのは、前線を視察し、遠くから撃っていた重砲を、もっと前線近くへ移動するように命じたことである。
重砲に詳しい参謀は、いろいろ理屈をならべて無理だと主張したが、児玉の命令によって、1日で重砲は203高地の正面で、より前線に近い位置に据えられた。
これにより日本軍の突撃を容易にし、203高地はあっけないほどの簡単さで奪うことができた。
このことが、日露戦争の勝利に大いに結びついた。
以上のことは、現在急激な不況に見舞われている企業経営にも参考になる。
まず、状況をよく見極めることだと思う。
児玉源太郎は、ろくに前線も見ずに指令をだしている参謀とは違い、危険を冒して前線まで出かけて、状況を見極めている。
そして、業績を好転させるにはこれしかないと判断すれば、不可能と思われても、本気でやって見ることだと思う。
重砲の移動においても、できない理由を参謀はいろいろ言ったが、結果として1日でできている。
また、士気を上げて突撃を行うのもいいが、無策に繰り返せば損害を大きくするだけだ。
第7師団は旅順攻撃において、わずか5日で1万5千人の兵力が千人にまで減ったということだ。
今やっていることが、
「本当にこれでいいのだろうか、もっと良い方法はないだろうか」
と問い直すことも必要だと思う。
早朝は倫理法人会、夜は中小企業家同友会
昨日は、朝5時前に起床し6時から始まる倫理法人会経営者モーニングセミナーに参加。
講師は、中小企業診断士のA氏。米国の金融危機を発端とする世界同時不況の現状や、今後の経営戦略のことなど、とても参考になった。
不況な時は、自社の強みを生かし、本業に徹することが大切だということを、再確認した。
また、お客様に詳しい情報をもたらすと価値で判断していただけるようになる。
値打ちのある情報をお客様へどれだけ提供できるか。
というようなことなどをはじめ、いろいろと参考になる講義をしていただいた。
8時に出社し、9時半まで稟議書や報告書の確認、書類の作成などの仕事を行う。
10時前に総社宮へ行き、昨日のブログに記した豆まきの行事に参加。
13時に会社へ行き、18時半まで指名願いの書類作成、その他実務的な仕事を実施。
19時に中小企業家同友会事務局へ行き、政策委員会が主催する勉強会に参加。
昨日の講師は、岡山県信用保証協会 調整部主幹のO氏。
信用保証協会の業務の内容や融資制度の種類、信用保証利用先企業の動向、それに現在よく利用されている「原材料価格高騰対応等緊急保証制度」の概要などを分かりやすく講義していただいた。
保証協会には相談窓口がある。
以前は、保証協会へ融資の相談に、直接いく事業者が多かったそうだ。
また、保証協会へ不動産等を直接担保に入れると、保証協会を利用する時、どこの銀行でも使える。
担保に入れる時、通常の登録免許税の税率は4/1000であるが、保証協会へ担保に入れると税率は1/1000に軽減されるということ等、いろいろと勉強になった。
21時半ごろ同友会事務局を出て、22時ごろ帰宅。
昨日は、よく勉強し、貴重な体験もできた、長く感じられた1日であった。
節分 豆まき
今日は節分。
年男ということで、近所の備前国総社宮で豆まきをさせていただいた。
平安装束のような衣装を着て、神主様によってお祓いをしていただいた後、壇上で
「鬼は外、福は内」
と、集まっていただいた町内の方々に向かって、豆をまくのは気持ちがよかった。
10年分の厄を一度に祓ったような気分である。
めったにできない経験をさせていただいた。
豆まきが終わったあと、社務所でいただいた善哉がおいしかった。
ありがとう卓越経営大賞表彰式
先週参加した新春経営者セミナー東京大会で、ありがとう卓越経営大賞表彰式が行われた。
主催者によると、この賞は、存在感のある人や期待される人に贈られる賞とは異なり、中小企業で働く無名の人たちへの賞で、社長から推薦された社員を審査委員会が選考して決定するものである。
今回は、卓越監理者賞、卓越社員賞、特別貢献賞、人間力賞など、合わせて6つの賞で、13名が表彰された。
表彰された社員さんの一部を紹介すると
経営が苦境に立ったとき、「社長、私の給料を減らして、若い人にあげてください」と言って、後継者づくりと育成に取り組んでこられた社員さん。(卓越管理者賞)
重度の障害で、身長93cm、体重22kg、松葉杖で歩行というハンディを乗り越え、28年間無遅刻無欠勤で、淡々と仕事に励んでこられた社員さん。(人間力賞)
赤字決算で給料も払えない絶対絶命のピンチに陥り「情けない男や!」と社長が自分を責めて、すべてを諦めかけていたとき、「社員さんのために私の貯金を使ってください」と言ってパートとして入社されながら経営を応援してこられた社員さん。(感謝力賞)
社長はこの時、自分の不甲斐なさを痛感すると同時に、
「こんなに健気な社員さんを、これから命をかけて守るぞ!それが経営者だ」
と確信して苦境を乗り越え、創業19年目を向かえることができたそうだ。
他にもたくさんの感動と励みがあった表彰式だった。
新春経営者セミナー東京大会
先週、講演会を主体としたセミナーが、東京都港区台場に位置するホテルで3日間開催され、これに参加してきた。
インフルエンザが流行している時期であり、感染が心配であったが、うがい薬やマスクが用意されてあり、主催者の心遣いがありがたく感じられた。
講師は、97才の日野原重明氏、ワタミの渡邉美樹氏、政治評論家の三宅久之氏、75才でエレベスト登頂に成功した三浦雄一郎氏など、著明な方が多かった。
今回の講演で、
雪と欲は積もるほど道を忘れる。
人間はやって見るように作られている。 人間は、未完に生まれて未完に終わる。
愚直に一所懸命やる。難しく考えない。
この世に客に来たと思えば何の不自由もない。
トップがどう生きるかで会社は決まる。
などの他、多くの学びがあった。
また、15年前に8ヶ月間かけて行われた経営セミナーの同窓会が2日目の夜行われた。
15年もたてば変わっているだろうと思っていたが、皆あまり変わってなく、元気で活き活きと経営されている方は歳をとらないのだろうかと思った。
勧められて参加したセミナーであったが、経営のヒントが多く得られ、参加してよかったと思う。
打つ手は無限
今回の不況に対して、我が社でも手を打ってはいるが、計画通りには成果が上がっていない。
先日、ある研修機関の代表から電話があり、
「手を打っているつもりでも、案外打っていないものだ。」
と言われた。
また、先週飲み仲間数人と居酒屋へ行った時、
「現在のように世の中全体が不況になると、我々の業種では打つ手がなかなか見つからない。」
というような、話題がでた。
「打つ手は無限」という言葉はよく耳にするが、いざ手を打とうと思っても、なかなか有効な手が見つからず、閉塞感を抱いている経営者も多いのではないだろうか。
こんな時、「全社の英知を結集して経営に臨む」ということが大切であることを、先週土曜日の社内会議・勉会で実感した。
会議で、社員からの情報や意見を出し合った結果、商品・顧客の再開発等、新たな打つ手が明確になってきた。
情報が社長のところへ集まる仕組みを作り、会社の進むべき方向を打ち出し、社長が率先してアイデアをだすことは大切だと思う。
しかし、それぞれの立場で製品を作り、顧客に接して、商品・サービスを提供しているのは社員であるから、社員は顧客からの情報やアイデアをたくさん持っている。
これを集めて、知恵を出し合えば新たな打つ手は見えてくる。
社員は、会社のことをよく考えている。
「打つ手は無限」 この言葉に間違いはないと、あらためて思った。